
気がついたら 土曜日以来 書くことが止まっていたーーー

出来る限り書く ということを 決めていたのに 意志、ヨワっ
ま、気を取り直して。
「そっかぁ・・・」 今日は ひとつ、府におちたことが ありんした。
お題目にしたけれど 「否定と肯定」
例えば 相手が失敗した時。 子供でも 部下でも 彼でも彼女でも 夫でも奥様でも。
何かを 出来なかったとき やれなかったとき あなたはなんと言うだろうか。
大抵、
「なんで?」 (なんで
あなたは 出来なかったの?出来ないの?)
「どうして?」 (どうして
あなたは 出来なかったの?)
「なぜ?」 (なぜ
あなたは 出来ないの?) って言ってると思う。
私自身は ちっちゃい時から よく親に言われてきてて、
「なんで って言われても・・・・」
「どうして って言われても・・・・」
「なぜ 出来ないのって 言われても・・・ ごめんなさい・・・」
がしょっちゅうだったで、答えに詰まったり 「デキネェもんは できねぇ

」と反発することも出来ないで どんどん自信をなくして 子供心にしんどかったこともあった。
ので、自分の子供には 努めて 出来る限り言わないようにはしていたけれど
やっぱ ペロッと 言ってしまって
「あぁ・・・言ってしまった・・・」「ああ・・傷つけてしまった・・・」 と凹んだり謝ったり してた。
要するに それは 失敗を責める言い方なのだ。
相手を 責めているのだ。 攻めているのかもしれない。 攻撃だ。
だから 私は 母に対して いつもいつも緊張をしていたのだ。
数秘学的に言うと 母は
エンジェルナンバー9
エンジェルナンバー33 の私には 仕方なかったか と納得していたのだけれど
そうか。
言い方にも 問題があったんだよな。 と再認識。
で。
問題は 今日 書きたいのは 母と私の関係ではなく、
そのように
「なんで? どうして? なぜ?」 の問いは 癖がつくンです。 ということ。
要するに ナニかことが起こったときに 自分自身で 自分自身を責めて、自己嫌悪に陥る考え方をしてしまう ということ。
「なんで
私はできなかったんだろう」
「どうして
私はこうなってしまったんだろう」
「なぜ
私はこうしてしまったんだろう」
そうやって どんどん どんどん 自分を追い込んでしまう癖がついてしまうんですね。
で。 鬱になってしまう。。。
自分を振り返り 「もう繰り返さないようにしよう

」
「ちゃんと出来るようになろう」 と、真面目に 真剣に 反省をして 頑張って取り組んで 鬱になってしまう。
もちろん、反省として 振り返るために 「なんで・・・」の問いをすべき時も必要なのだ。
ただ、
あなたであれ、
私であれ
対象が 人物であることが マズイのです。
「なんで こんなことになったんだろうか?」
「どうして こうなってしまったんだろうか?」
「なぜ こういう結果になってしまったんだろうか?」
対象が
人物では無くて
事象・事柄であればよいのです。
ナニが失敗だったのか、じゃあ、
今度は どうしたら 失敗しないか
そのために
今自分が出来ることは なんなのか
これからどうしたら出来るようになるか
それを考えの中心にすることで 解決の道って出るんだよねぇー。
失敗と思われることも 経験値をあげるために必要な事柄なので 本来、失敗なんてないのですが、
こう考えられたら 本当に「失敗は経験だ」と言えるかもしれない。
そんでもって この2つの考え方の癖は 自分に対してもやってしまうけど
当たり前のように 相手にもやってしまう のであります。
そこがコワイとこ。
私のように つい子供にやってしまったり パートナーにやってしまったり してるんデスよ ってこと。
うっわ~

やべぇ~
出来ない自分の 出来ない部分に焦点をあててる癖が ついてると
相手の出来ない部分に 焦点をあてて みてしまう ってわけ。
ま、そりゃ そうだよね。
自分にあるもの、自分が持ってるものでしか 相手を見れないし理解できないもんね。
さて。
寝よう。
またまた 尻つぼみな日記。
この癖は いつか直る。